こんにちは、Tatsuyaです。
今日は
🔥日本人がいかに謙虚か🔥
をお伝えしていきたいと思います。
日本人が謙虚であるということは皆さんもご存じかと思いますが、日本にいながら
「日本人って謙虚だ」
と感じることはあまりないのではないですか?
僕は外国語学部に所属しているため多くの外国人とコミュニケーションを取る機会があります。
その時にかなりの頻度で思い知らされますね。
今日はそんな日本人の謙虚さについてお話していきたいと思います。
それでは、やっていきましょう!
1.日本人の思う美徳とは?
我々日本人の国民性ってなんだと思いますか?
それこそ僕は
『謙虚さ』であったり『勤勉』
であると考えています。
この2つは我々日本人であれば美徳であると考えているかもしれませんが、海外の目は少し違っています。
むしろネガティブにとらえられるケースも少なくありません。
つまり、『謙虚』だといいように解釈しているのは日本人だけで
海外の人の見解は『自主性がない』ととらえられている訳です。
特に英語圏では『謙虚さ』よりも『自己主張』が必要とされているためです。
自己主張をしてこない日本人は『自主性がない』と思われているのです。
2.『謙虚さ』が美徳とされる理由は?
ではなぜそのようになってしまったのか。
それは日本の社会が影響しています。
日本の社会というのは
『出る杭は打たれる』
日本の社会で頭角を現したいときは、周りに認められる、もしくは出すぎる杭になるしかありません。
下手に頭角が出ると、連帯性がない、集団意識に欠ける、そのように考えられてしまうからです。
これと言った能力のない人は、できる限り敵を作らずに自分の味方を作っていく必要があります。
日本の社会は、自分たちと違う人間は白い目で見られるため集団的意識を重んじる協調性が必要になってきます。
しかし、海外では人格も含め能力があると判断するため、出る杭でなければその人は能力がないと判断されます。
3.これからは『謙虚さ』を見直そう
これからの社会では我々が美徳と考える『謙虚さ』や『謙遜』といったものを一度見直す必要があります。
「私なんかちっぽけな存在」
「私なんかたいしたことない」
こういう発言は日本では『謙虚』であったり、『謙遜』ととらえられるかもしれません。
しかし、英語圏でこのような発言をすると
“Don’t play small.”
と言われます。
他にも本当はもっとできるのに自分の可能性を十分に発揮できなかったり、目の前の小さなことにとらわれすぎたりすると同じように言われてしまいます。
しかし、「能ある鷹は爪を隠す」ということわざももちろんあります。
英語圏では何でもかんでも口に出さないと伝わらないと思われがちですが、賢者のような人が物静かなのは日本も外国も同じです。
そんな時には、
“Still waters run deep .”
“He who knows most,speaks least.”
というような言葉が使われます。
4.無意識に出る『謙虚さ』の表れ
日本人は無意識のうちに『謙虚さ』が出ています。
例えば、大して悪くもないのに「すいません」と言うときや
誰からの電話でも「いつもお世話になっています」と言うとき、
疲れているようには見えないのに「お疲れ様」などがあります。
こういうのは職場でよく使われますね。
日本人の社会を生きていくうえでこのような社交辞令は絶対に欠かせませんが、
これから国際社会になっていくことを考えると多くの外国人が「?」となるはずです。
これらの言葉は大して意味を持つわけではないが、これもまた集団的意識が強いせいでしっかりと使えないと白い目で見られます。
なぜ使っているのか外国人に尋ねられてもおそらく誰も答えられないはずです。
これらは学校などで習う訳でもなく、そういった集団の中で過ごすことで自然と身についていきます。
そして集団的意識の中周りに協調して、繰り返しこのようなフレーズを使い始めるわけです。
5.なんでもかんでも『謙虚』で済ませるな!
日本人の「謙虚さ」は国際社会に出ていく上では足かせになるが、日本人である以上は必要なことです。
「謙虚さ」とは今や外国人にも認識してもらえるような日本人の代名詞であるといっても過言ではありません。
ただ、その「謙虚さ」を発揮する場面を選ぶ必要があります。
発言を求められる場では発言に対して積極性を見せるべきであるし、話し合いに参加すべきです。
「謙虚さ」と「自主性のなさ」は、紙一重であることにもっと日本人は気付くべきです。
日本人が大勢で集まると多くの人が「誰かがやる」と思ってしまっているはずです。
そのせいで誰も手が上がらなかったり、発言しなかったりと話が進まない原因となったことがあるのではないですか?
留学帰りの人たちが口をそろえて言うことは、向こうの人たちの授業だけでなく、何事にも積極なところに驚いたということです。
外国の人にはそれが普通であり、その場に日本人のような控えめな人が放り込まれてしまうと、圧巻されてしまいます。
これからはそういう場所で力を発揮できるようにならないといけません。
僕自身大学の授業中に何度も
「今日はお葬式だね」
と言われました(笑)
よく出るフレーズが“Don’t be shy”ですよね。
先生が何を言っているかはわかっているし、自分の意志もあるが、頭のどこかで誰かが発言するだろうと授業中は考えていました。
もちろんこの考えは、授業の足かせでしかありません。
こういったことは国際社会では、不要な要素になってきます。
やはり、「自分が何か言わなければ」と思うことが大切です。
国際社会では、個人主義や個人の能力を重んじています。従って、自分自身の存在を主張することが求められるわけです。
6.最後に
『郷に入っては郷に従え』
ということわざがあるように、その場に応じた対応が必要になってきます。
自分が能力を発揮しなければいけない部分なのか、「謙虚さ」を見せなきゃいけない部分なのか
これからの社会はそれをうまく使い分ける人が成功していくはずです。
それでは、今日はこの辺で。