こんにちは、Tatsuyaです。
今日は
🔥人間は死んだとき完成する🔥
というお話をしていきたいと思います。
これは僕の自論なんですが、どこかで聞いたのかもしれません。
ですが調べてもでなかったので根拠もないただの自論になります(笑)
ですので何かこの考えに沿うものがあったら教えてもらえると嬉しいです。
人間は死んだときに完成する
僕は子供の時死ぬことが非常に怖かったです。
最近は、
『人は死によって完成する』
と考えるようになりました。
生きている間は常に上を見続けて向上心を持ち続けなければいけません。
ですから、その向上心が止まった時人は死に完成すると考えるようになりました。
というのも僕は
『生涯学習』
ということを大切にしています。
つまり生きている間は学び続ける
ということです。
それが完結するとき、それすなわち肉体が死んだときだと考えるようになりました。
生涯学習は世界では当たり前のこと
日本はまだまだ生涯学習に目を向けられることは少ないです。
社会人になると学習が急にストップして、還暦を迎えたあとまた学習を始める、そういう傾向にある気がします。
まず、生涯学習という言葉を知っていましたか?(笑)
最近になって日本の大学は社会人入学制度が充実してきましたがまだまだ弱いですよね。
大学の講義でおじいちゃんが聞いていたら
『あれ?』
って偏見を持ちませんか?
ですがアメリカなどでは、休職や退職してまで大学に入る人たちが多くいます。
理由は、経営学修士(MBA)などを取得しておくと給料が数倍に跳ね上がるからです。
ですが日本の社会はその点でのメリットが期待できないため、アメリカに比べて学ぶ魅力が乏しくなっているのが現状です。
大学自体には、文部科学省の指導もあって昼夜開講制や夜間大学院の制度を設置している場所もあります。
ですがまだまだ浸透化されていないのが現状です。
今後の生涯学習とは?
生涯学習とは
1.自ら主体的に進んで行うもの
2.自分にあった学習方法を選びながら生涯を通じて行うもの
3.学校や社会だけでなく、もっと身近な場所・もので行える
となっています。
3については、ボランティア活動であったり、趣味であったり、勉強のような堅いものだけが生涯学習という訳ではない、ということです。
日本で『学習』とか『教育』というとどうしても
『学校』
というイメージがありますよね。
ですが、生涯学習は違います。
生涯学習は
『生きていることが学習そのもの』
な訳です。
ですが、意識していないと得られるものはありません。
学校と言うものは学びが強制的に行える場所であったため、根強い『教育現場』のように思われてしまいます。
社会に出た後では、主体的に学ばなければいけません。
ですので多くのことを学べるはずなのですが、視点を切り替えないと一切学んでいないように感じるわけです。
考え方ひとつで皆さんはすでに
『生涯学習』
を始めているんですよ。
地域一帯の生涯学習
自分の住んでいる周りで、生涯学習センターを探してみてください。
きっと沢山ありますよ。
学校のような堅い場所ではなく、地域密着型の学習環境が生涯学習の魅力です。
公民館やコミュニティーセンターなどで沢山の人とふれあって情報交換をしたり、パソコン教室や英会話教室などの講座を受講することができます。
また、図書館や博物館なんかも生涯学習にあたる大切な施設ですよね。
田舎ではこういった地域のコミュニティーセンターや図書館というものは多くの人に利用されていました。
むしろお年寄りのほうが多いですよね。
みんな活き活きとしていらっしゃいます。
考え方ひとつで生き方は変わる
生きていること自体が『学び』ととらえることで
今日の自分より明日の自分
明日の自分より明後日の自分
というように経験値を蓄積していくイメージが与えられます。
夏目漱石の「こころ」でKが言っているように
『精神的に向上心のないやつはバカだ』
向上心のない人はバカなわけです。
こんな『学び』溢れて死ぬまで自分を高められる世界で『学ぼう』と思わない人はバカですよね。
大学なんて言う場所は学びの最高峰なわけですが、そのありがたさに気付くのは大体卒業した後です。
それを大学生のうちに知っている人は最強ですよ。
この学びは一生完結しないわけです。
死ぬまで人間は学び続けることができます。
だからこそ
『死んで人は完成する』
という訳です。
これ以上向上することができなくなったから
『人として完成した』
ということになります。
生きている間は人間は不十分なんですよね。
だから生涯学び続け、死んだときに完成する。
僕はこれからも『学び続け』
子どもたちだけでなく大人にも『学び』のすばらしさを伝え続けます。
それでは今日はこの辺で。
[…] 🔽人間は死んだとき完成する?!生涯学習が叫ばれる今後の生き方について […]