こんにちは、Tatsuyaです。
今日は
🔥思想は誰かの二番煎じ🔥
ということについてお話していきたいと思います。
みなさんは
『この考えはまだ世に無い画期的な考え方だ!』
と思いついた思想はありますか?
僕は過去に何度かあります。
僕は塾講師をしているので授業について常に考えます。
誰かのマネの授業ではなく、自分の授業ってなんだろうと問うのですが常に誰かの何かを真似して授業しています。
ですが、それは仕方のないことで言語の分野なんかでの研究は既にもうほとんど終わってしまっている訳で、教育において新しい授業展開というのはなかなか難しいものなのですね。
ですが僕は常にオリジナリティを追っています。
今日はそのオリジナリティの追求について話していきたいと思います。
1.音楽の世界はヴェートーベンですべて出尽くした
音楽の時代で言えば、曲に関してはヴェートーベンの時代には既にすべての曲は出尽くしたと言われています。
ですのでヴェートーベン以降の曲は、何かどことなく似ている雰囲気を持っているということになります。
日本の歌でもありますよね。
この曲とこの曲はすごい似ている!真似したのか?みたいな。
これは実は真似ではなく、新しい曲調というものがないんですね。
ですので新曲だ!と思っていても探せば何かに似ている曲が必ずあるんです。
レオン・バッティスタ・アルベルティ(Leon Battista Alberti、1404年2月14日 – 1472年4月25日)は、初期ルネサンスの人文主義者、建築理論家、建築家である。専攻分野は法学、古典学、数学、演劇作品、詩作であり、また絵画、彫刻については実作だけでなく理論の構築にも寄与する。音楽と運動競技にも秀で、両足を揃えた状態で人を飛び越したと伝えられる。
彼は多方面に才能を発揮し、ルネサンス期に理想とされた「万能の人」の最初の典型と言われた天才。確実に彼に帰属するとされる絵画、彫刻は現在のところ伝わっておらず、建築作品についても少数ではあるが、深い芸術理論は様々な分野で後世に影響を与えた。
彼が言うには
『既に述べられたこと以外、何事も述べられない』
だそうです。しかしこの言葉は、彼の言葉ではなく、彼よりも何千年も前を生きた
プブリウス・テレンティウス・アフェル(Publius Terentius Afer, 英語:Terence, 紀元前195年/紀元前185年 – 紀元前159年)は共和政ローマの劇作家。テレンティウスの喜劇が最初に上演されたのは紀元前170年から紀元前160年頃である。若くして亡くなったが、その場所はおそらくギリシャ、もしくはローマへ戻る途上だろうと言われている。
テレンティウスは、元老院議員テレンティウス・ルカヌスによって奴隷としてローマに連れてこられた。ルカヌスはテレンティウスに教育を施し、その才能に感心して後には奴隷から解放した。「テレンティウス」というノーメン(氏族名。古代ローマの人名参照)は、テレンティウス・ルカヌスからつけられたものである。テレンティウスの書いた6つの戯曲はすべて現存している。
という人物の言葉です。
紀元前から考えと言うのは既に出尽くしていたということになります。
2.次世代を生きる子供に求められるのは?
オリジナリティを出すのが難しいのですが、次世代を生きる子供たちに求めるのは
『オリジナリティ、創造性』
です。
難しいからこそ、これからの時代を生きる子供たちは、これらを生み出せる人間でないといけません。
そのために、『アクティブラーニング』『プログラミングの必修化』というようなものが始まってきます。
みんなが同じことができるようになる訳です。
みんながプログラミングできるようになったら突出するためには、オリジナリティがないといけません。
誰かの二番煎じではだめだということです。
僕のモットーは
『今の常識は10年後の非常識』
『10年後の常識は今の非常識』
これを頭にこれからも頑張っていきます!
これからの子供たちには負けませんよ!!
大人はこんなハイスペックな次世代に負けないように自らを高めていく必要があります。
だからこそ生涯学習と言うものが大切になってきます。
これからも学び続けるという精神を忘れないでいてください!
それでは今日はこの辺で。